昭和47年成羽川水害
昭和47年7月9日夕方から12日にかけての集中豪雨は成羽においても明治26年以来約80年ぶりという豪雨で川上郡は降水量450mmを記録した。
加えて新成羽川ダムの放水があり11日早朝および11日夜半からの放水は毎秒2770t 、成羽付近では毎秒約3500tの流水となり、鉄砲水的流れとなって襲い、旧成羽町平地全域で2回にわたり急増水、洪水、堤防の決壊等により一瞬にして修羅の町化し、市街地の約80%以上が床上床下浸水となった。
愛宕花火も中止となった。

昭和47年7月の水害の記録
時間 総門橋
水位
ダム
放流
対   策
7月11日 早朝     洪水警報途と共に町災害対策本部設置、消防団全員出動、水門〆切、堤防増強、洪水警戒
6:30 3m50   水防命令
7:30 4m60   避難命令発令、消防団残人を処理
9:30 4m60 2128t 消防団、堤防の補強築、万全を期す
13:30 2m50 892t 避難命令解除
20:55 3m40 1800t 避難命令発令、消防団、各戸非難確認、応援、警戒
7月12日 3:30 5m40 2770t 消防団、堤防の補強、応急対策
4:30 2m50 1360t 避難命令解除
13:00 3m50 1700t 避難命令発令
20:50 2m90 913t 避難命令解除


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