なりわ観光案内一口メモ
なりわは清流の音が鳴り渡るから『なりわ』となったとも言われる。
山崎は石積みの名手で御殿の石垣、江戸城外掘りの石垣を積みたてた
水谷(みずのや)は5万石で治水工事、川流れを変え下原を作った
山崎様は旗本だが参勤交代していた。山崎様の墓は寺にあり、青松寺にあります
山崎様の江戸屋敷は、上屋敷⇒愛宕下、下屋敷⇒白金、丸亀藩主時の屋敷をそのまま使った。
陣屋町は星原丁、星鷹丁、本丁、柳丁、裏丁、新町
吹屋は天領であった。吹屋往来の高瀬舟の舟運で繁栄
愛宕花火は約300年前に愛宕神社を建てた時に上げたのが始まり
神代神楽はかなり前からあった
江戸時代に西林国橋が大衆向けにまとめた
忠臣蔵で有名な浅野長矩の正室=阿久利姫は三次藩主浅野長治の側室のお石の方(寿光院)の三女。このお石の方は山崎家の出である。
山崎屋敷にがま池伝説があり、今でも麻布十番の十番稲荷で「上の字様」お札を出しています
岩崎弥太郎が吉岡銅山を払い下げてもらい三菱を創った
備中神楽 テレビの無い江戸時代に庶民の最大の娯楽だった備中神楽!
歴史、チャンバラ、格闘技、それから漫才から科学まで、あらゆるパフォーマンスを体感出来ます。
その台本を作ったのが、成羽の神官:西林国橋です。
歴代天皇が継承している三種の神器は 鏡、勾玉、剣
この三つとも神楽に出てきます
岩戸開きで天照大神様が持っいるのが鏡
天照大神様を岩戸から出すために外に飾られた榊に吊されているのが勾玉
そして大蛇退治をした時にしっぽの中から出てきたのが剣です
この話しは古事記にあります
つまり難しい古事記の話しをわかりやすくお芝居に仕立てたのが神楽

成羽藩大坂蔵屋敷
大坂城の石垣修築に従事したことである。
元和6年(1620)〜寛永4年(1627)の8年間、さらに、寛永13年(1636)にも御城石普請にたずさわった。
この大坂城石垣普請のエ事中、このときの廃石を安治川に棄て、それが積み重なって中州となった。
これが大坂「中之島」で、江戸時代通じて山崎氏の所領となった。
「天保武鑑」には「山崎飛領 大坂中之島」と見える。
山崎藩主では、この地に蔵屋敷(左図)として、大坂留守居役が駐在していた。

成羽町史 通史編より
成羽藩大坂蔵屋敷


成羽を知ろう会
成羽の歴史 細川寿美雄氏
1陣屋町
2守護神
3愛宕神社
4勘定所
5総門坂田門
6備中神楽
7忠臣蔵他
備中神楽入門 大塚芳伸先生
1備中神楽の起源
2神楽太夫について
3神楽演目のあらすじ
  岩戸開き
 国譲り
 大蛇退治
4神楽の作法
5質疑応答
  福の種について
  備中杜氏と松尾明神
  神楽で町起こしについて
成羽の歴史 官尾先生
1天災
2歴史
3道
4高瀬舟
5橋
6花火
7建屋
8人物
9街並み
10課題

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