成羽藩の山崎候の菩提寺
高梁市の龍徳院
曹洞宗洞松寺(小田郡矢掛町)の末寺で本尊は釈迦如来である。
山崎家治候は元和三年(1617年)、因州若桜城より成羽藩主三万石として入封し、祖父堅家候の法名龍徳院を寺号として山崎家菩提寺龍徳院を成羽の地に建てた。
家治候が天草富岡四万石、讃岐丸亀五万石と移封のとき、それぞれの地に従って行き、丸亀で孫、治頼天折ののち龍徳院は高松に移った。
寛永十五年(1638年)、家治候天草移封のとき従わなかった家臣達が成羽の龍徳院を当地松山領に移築したものである。
お寺の名前は、山崎家治候の祖父堅家候の法名龍徳院を奉った。
家治候の若桜町にもある
 

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山崎候
菩提寺
寿 覚 院 龍 徳 院 正 玄 寺
家治候は、 祖父堅家候の母の法名寿覚院を奉った 家治候の祖父堅家候の法名龍徳院を奉った 山崎家治候が家臣のために建立
若桜藩 家治候が建立、現在も若桜町にある 家治候が建立、現在も若桜町にある。龍徳寺 家治候が建立、現在はわからない
成羽藩 家治候が建立、移封時に高梁に移転し現在もある 家治候が建立、移封時に高梁に移転し現在もある 家治候が建立、移封時に高梁に移転したが成羽に戻ってきた
天草藩 家治候が建立、現在も天草にある 家治候が建立、現在はわからない 家治候が建立し丸亀に移転
丸亀藩 家治候が建立、現在も丸亀にある 家治候が建立し本家断絶後廃寺になる 家治候が建立、現在も丸亀にある