成羽愛宕大花火を始めた
成羽藩山崎候について調べてみました

成羽藩山崎候の歴史
藩   主
役職 官位 主な功績 お 墓 成羽藩 生 没
初代
3万
5千石
1.山崎家治
(やまさき
いえはる)
甲斐守
かいのかみ
従五位下
大坂両陣の戦功により成羽藩に
築城の名手
江戸城外堀の石垣構築
大阪城天主の石垣構築
中之島に大坂屋敷があり
天草富岡城の再建
丸亀城の築城
寿覚院建立
龍徳院建立
京都
瑞光院

黄梅院
1617-1638
(22)
1595-1653
(59)
初代
5万石
水谷(みずのや)
勝隆(かつたか)
伊勢守
いせのかみ
従五位上
治水工事
御殿築営
陣屋町の構築
高梁市
定林寺
1639-1642
(4)
1597-1664
(68)
廃藩となり15年間天領区 1643-1657
交代寄合

5千石

表向御礼衆
1.山崎豊治
(とよはる)
勘解由
かげゆ
御殿築営
陣屋町の構築
菩提寺の桂厳寺建立
桂厳寺 1658-1688
(30)
1619-1700
(82)
2.山崎義方
(よしかた)
主税助
ちからのすけ
愛宕神社勧請
成羽愛宕大花火の創始
桂厳寺 1688-1708
(20)
1667-1708
(42)
3.山崎尭治
(たかはる)
兵庫
ひょうご
陣屋町基盤完成、享保古地図 桂厳寺
青松寺
1708-1745
(37)
1689-1745
(58)
4.山崎信盛
(のぶもり)
兵部
ひょうべ
  桂厳寺
青松寺
1745-1758
(14)
1728-1758
(31)
5.山崎義俊
(よしとし)
主税助
ちからのすけ
家中定書、町村方定書、集大成 桂厳寺
青松寺
1758-1778
(20)
1740-1801
(62)
6.山崎義孝
(よしたか)
兵庫助
ひょうごのすけ
  桂厳寺
青松寺
1778-1779
(2)
1758-1779
(21)
7.山崎義苗
(よしたね)
主税助
ちからのすけ
  桂厳寺
青松寺
1779-1781
(3)
1765-1781
(19)
8.山崎義徳
(よしのり)
主税助
ちからのすけ
寛政の陣屋町絵図、参勤交代記
西林国橋(こっきょう)が備中神楽を再編した 
桂厳寺
青松寺
1781-1813
(33)
1769-1813
(45)
9.山崎義高
(よしたか)
勘解由
かげゆ
  桂厳寺 1814-1819
(6)
1801-1819
(19)
10.山崎義柄
(よしつか)
主税助
ちからのすけ
下原強制移転触れ書
江戸屋敷のがま池伝説
桂厳寺 1819-1827
(9)
1805-1827
(23)
初代
1万
3千石
11.山崎治正
(はるまさ)
主税助
ちからのすけ
従五位下
再び立藩、船方役用帳
桂厳寺 1827-1869
(43)
1821-1876
(56)
二代
12.山崎治祇
(はるよし)
志摩守
しまのかみ
従五位下
成羽藩知事 桂厳寺 1869-1871
(3)
1855-1909
(55)
三代
13.山崎治敏
(はるとし)
男爵
従五位
成羽藩知事 桂厳寺 1871-1939
(69)
1858-1939
(82)
現代 14.山崎治男
(はるお)
男爵   桂厳寺 1939-1947
(9)
1891-1981
(91)
15.山崎弘己
(ひろみ)
当主   桂厳寺 1947- 1933-
16.山崎治久
(はるひさ)
当主   桂厳寺    

成羽愛宕大花火を始めた成羽藩主の山ア候とはどんな殿様だったんでしょう? 少し調べてみましょう
@山崎候は戦国武将?
A山崎候は築城の名手だった
B大阪城の山崎候の刻印石
B-2 大阪城の山崎候の刻印石
B-3 大阪城の山崎候の刻印石
C大阪中之島の山崎候の蔵屋敷
成羽花火を始めた山ア候にまつわるエピソード
成羽藩主山ア候の参考文献
D江戸城の山崎候の刻印石がある小石川後楽園
D-2 江戸城外堀の山崎候の刻印石
D-3 江戸城天下普請
E成羽花火を始めた山崎候の江戸屋敷とガマ池伝説
E山崎候の江戸屋敷とガマ池伝説
F山崎候の江戸屋敷近くの愛宕神社
F-2 愛宕信仰と松明祭り
F-3 成羽の愛宕神社
G丸亀城の山崎候による築城
G-2 丸亀城にある山崎候の展示
H浅野内匠頭の妻の母は山崎家
I加藤清正の最初の妻は山崎家
11山崎家治の生涯
12江戸時代の花火について
成羽藩山崎候を訪ねて

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成羽藩山崎候の歴史
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察:位置@
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察:大きさA
成羽藩山崎候と愛宕花火
成羽藩山崎候の江戸屋敷の訂正
愛宕花火の参考文献

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成羽藩の山崎候の功績
い:江戸上屋敷麻布十番 上屋敷は麻布十番のアルゼンチン大使館にあった
ろ:江戸下屋敷白金 下屋敷は白金にあった
は:小石川後楽園 備中成羽藩主山崎甲斐守(山崎家治)の丁場の石垣で、江戸城外堀発掘調査の際に出土した石垣が使われている。
に:大阪中之島山崎の鼻 大阪城天主の石垣構築し、捨て石で出来た中之島に大坂屋敷があった
ほ:丸亀藩仁尾城 豊治の屋敷、五千石
へ:赤穂藩浅野匠頭 忠臣蔵で有名な浅野長矩の正室=阿久利姫は三次藩主浅野長治の側室のお石の方(寿光院)の三女。このお石の方は山崎家の出である。
と:熊本藩加藤清正 加藤清正の妻が山崎片家の娘
清正公と山崎の息子:虎熊
片家の子の百助が清正の養子になっている
続 加藤清正「妻子」の研究より
寿 覚 院 山崎家治候は、祖父片家候の法名を寺号とした龍徳院を成羽に建立した
龍 徳 院 祖父片家公の母の法名を寺号とした寿覚院を成羽に建立した

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