成羽愛宕大花火を始めた
成羽藩山崎候について調べてみました
A山崎候は『築城の名手』
成羽美術館の石垣は成羽藩のお殿様の山崎候によって築かれました。
山崎候は『築城の名手』であり、徳川幕府の石垣普請を請け合っていました。
江戸城外堀の石垣、大阪城天守閣の石垣にも、天下普請で参加し構築しました。
大阪城の普請の捨石で中之島が出来て、そこに大阪屋敷を建てました。
その腕を買われ、天草の乱後の肥後国天草の富岡城の再建、廃城だった丸亀藩丸亀城の再築をしました。
近江時代から石垣職人-穴太衆の家来を引き連れていたと思われています。
成羽美術館の石垣 幅300メートル、奥行きは100メートル、高さ4メートル



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成羽藩山崎候の歴史
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察:位置@
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察:大きさA
成羽藩山崎候と愛宕花火
成羽藩山崎候の江戸屋敷の訂正
愛宕花火の参考文献

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