成羽愛宕大花火を始めた
成羽藩山崎候について調べてみました
@山崎候とは
山崎候は信長、秀吉、家康の家来として上手く戦国時代を生き抜いてきた戦国武将である。関ヶ原の戦いに秀吉側で参戦したが、上手く家康側に味方し石高を増やしている。
大坂冬の陣、夏の陣には家康側で参戦、弟の久家が戦死している。
『築城の名手』であり江戸城、大坂城、天草城、丸亀城を構築した。
近江山崎城→三田城→若桜城→成羽藩→天草城→丸亀城と順々に石高(2万石??5万石)を増やしていたが、嫡男が亡くなり、仁尾に居た分家が成羽藩で存続した。
宇多源氏佐々木氏の流れで有名人とも親戚である。
赤穂浪士の浅野内匠頭、加藤清正公、石田三成などなど、後で詳しく調べてみましょう。
山崎候が石高を上げて行った領地とゆかりの地



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成羽藩山崎候の歴史
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察:位置@
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察:大きさA
成羽藩山崎候と愛宕花火
成羽藩山崎候の江戸屋敷の訂正
愛宕花火の参考文献

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