成羽愛宕大花火を始めた
成羽藩山崎候について調べてみました
成羽藩前期山崎候の上屋敷を発見!

ついに発見!成羽藩前期山崎候の江戸上屋敷!前期山崎候、山崎家治が成羽藩を立藩した時(1617年)に既に『愛宕下』に上屋敷があったことが判明しました。

1632年 武州豊島郡江戸庄図
国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開情報保護期間満了)資料より
赤丸が愛宕神社、その前が愛宕通り、小赤丸が山崎家上屋敷
成羽藩山崎候の上屋敷の考察
成羽藩を立藩した前期山崎候時代に『愛宕下』に江戸上屋敷があり、後期山崎候時代に丸亀藩から成羽領になった時に『麻布一本松』に移転していたことがわかりました。
発見までの過程を@上屋敷の位置の考察、A上屋敷の大きさの考察に分けてお知らせしたいと思います。
A上屋敷の大きさの考察はこちら
@上屋敷の位置の考察 
◆江戸古地図による考察
山崎候の上屋敷はブラタモリでも取り上げて頂いた麻布十番の高級住宅街にありました。山崎候は麻布に上屋敷、白金に下屋敷がありました。
この時は交代寄合の5000石の旗本でした。ブラタモリで紹介して頂いた『ガマ池伝説』のガマ池は山崎候の上屋敷の中にありました。現在でもそのガマ池は残っています。
ガマ池伝説の『上の字のお札』は現在でも地下鉄麻布十番駅近くの麻布十番稲荷で販売されています。
しかし、麻布十番は後期山崎候5000石の話で、前期山崎候の時代にも大名屋敷があったのではなかろうか?詳しく調べてみることにしましょう。
江戸時代の古地図を調べてみると、後期の物がたくさんありますが、何点か初期の物がありました。江戸中期から後期の地図には麻布の一本松近くに山崎主税助(ちからのすけ)と載っています。
後期山崎候の成羽陣屋は1658年(万治元年)からだからそれ以前の古地図を調べてみれば良いことになります。
便利なもので国立国会図書館のデジタルコレクションは原版を自由に見れて、著作権も切れているので自由に引用もしていいらしい。




1657年新添江戸之圖:麻布一本松辺り
国立国会図書館デジタルコレクション
(インターネット公開情報保護期間満了)
資料より
1657年の新添江戸之圖を見てみると麻布の辺りはまだ田んぼで大名屋敷がないようにみえます。つまり前期山崎候の時代には別の場所に上屋敷があったのでなかろうかと推測できます。
1632年の武州豊島郡江戸庄図を調べてみると、江戸城の周りに大名屋敷がたくさん並んでいます、この中に山崎候の大名屋敷もあるはずです…。
パソコンで国立国会図書館デジタルコレクションで検索し古地図を片っ端から拡大して探してみること…なかなか見つからない…
無心苦心してやっと2日目についに発見しました!!!!

愛宕神社のほど近くの西新橋辺り(俗に愛宕下)に山崎候の上屋敷を見つけました。
1657年の新添江戸之圖にもあります。
1624年武州豊島郡江戸庄図にもあります。
その頃の大名を調べてみると、他に山崎家は見受けられないので間違いないでしょう。





1657年
新添江戸之圖愛宕下
国立国会図書館
デジタルコレクション


赤丸が愛宕神社
その前が愛宕通り
小赤丸が山崎家上屋敷
『成羽町史』(平成3年)の成羽愛宕大花火の解説欄に『成羽藩山崎候の江戸上屋敷が愛宕下にあり、愛宕神社を勧請し…』の話しがやっと納得できます。
 
◆大名武鑑による考察
大名武鑑とは、江戸時代に毎年発行された大名の図鑑または番付け表で、江戸地図と並び観光案内書として江戸見学はもちろん、参勤交代時のお土産としてももてはやされたそうです。
これも国立国会図書館のデジタルコレクションで検索し自由に調べてみることができます。
1800年 寛政武鑑
国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開情報保護期間満了)資料より
山崎家 上屋敷:麻布一本松 下屋敷:麻布白金

武鑑によると、山崎家は1675年頃までは上屋敷が『愛宕下』にあり、1698年頃から『麻布一本松』に移動しています。これは丸亀藩から成羽領に来て交代寄合旗本になった1658年(万治元年)にだいたい一致しています。
しかし、武鑑は毎年発行されていて改訂版も出るそうですが、情報が少し遅れるのが常であり、江戸古地図もそうですが間違いも結構あるそうです。
そこで、年代別に比較してみましょう。

◆江戸古地図と武鑑による山崎候の上屋敷を別表にまとめてみました。

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江戸古地図と武鑑による成羽藩
山崎候の江戸屋敷の考察
国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開情報保護期間満了)資料より
武鑑(48冊)による山崎候の上屋敷   江戸図(56図)による山崎候の江戸屋敷
武  鑑  名 愛宕下→麻布 麻布白金 江 戸 図 名 愛宕下 麻布一本松 麻布白金
下屋敷
1573 足利武鑑 なし            
1581 信長總見公武鑑 なし            
1582 織田武鑑 なし            
1591 豊臣秀吉武鑑 なし            
1595 豊國秀次武鑑 なし            
1617 前期山崎候成羽藩              
1624 御馬印第5巻 書なし   1624 武州豊島郡江戸庄図 愛宕下    
1639 山崎候天草藩へ     1632 武州豊島郡江戸庄図 愛宕下    
1641 山崎候丸亀藩へ     1642 寛永江戸図 愛宕下    
1655 明暦元年武鑑 愛宕下   1657 新添江戸之圖 愛宕下    
1658 明暦四年武鑑 愛宕下            
1658 後期山崎候成羽藩     1666 江戸図寛文六年刊 愛宕下    
        1666 江戸図寛文六年 愛宕は別殿 麻布のみ  
        1670 新板江戸大絵図 愛宕下    
        1671 新板江戸外絵図 愛宕は別殿 麻布のみ  
        1673 新板江戸外絵図 愛宕は別殿 麻布のみ  
1675 延寶三年武鑑 愛宕下   1675 延宝三年江戸全図 愛宕下 麻布両方ある  
1679 延寶七年武鑑 書なし   1676 新板江戸大絵図絵入 愛宕下 麻布両方ある  
1680 江戸鑑 愛宕下   1680 江戸方角安見図鑑 愛宕は別殿 麻布のみ  
1681 天和顯正系江戸鑑 書なし   1681 増補江戸大絵図絵入 愛宕は別殿 麻布のみ  
        1682 増補江戸大絵図絵入 愛宕は別殿 麻布のみ  
1683 天和3年 書なし   1683 増補江戸大絵図御紋ゑ入 愛宕下 麻布両方ある  
        1684 新改御江戸大絵図 愛宕下 麻布両方ある  
        1687 ゑ入江戸大繪圖 愛宕は別殿 麻布のみ  
1688 本朝武鑑   麻布白金 1689 江戸図鑑綱目 愛宕は別殿 麻布のみ  
1691 本朝武系當鑑元祿4年   麻布白金 1693 江戸図正方鑑 愛宕は別殿 麻布のみ  
1695 太平武鑑   麻布白金 1697 分間江戸図 愛宕は別殿 麻布のみ  
1698 元禄武鑑 麻布一本松   1698 新板江戸大絵図 愛宕下 麻布両方ある  
        1699 江戸大絵図元禄12年 愛宕下 麻布両方ある  
        1700 分間御江戸図 愛宕は別殿  麻布のみ  
1703 須原屋板寳永元年   麻布白金 1703 寛永13年江戸大絵図 愛宕は別殿 麻布のみ  
        1704 元禄江戸大繪圖 愛宕下 麻布両方ある  
1705 御林武鑑 麻布一本松   1707 元禄江戸大繪圖 愛宕下 麻布両方ある  
        1707 江戸全圖 愛宕下 麻布両方ある  
1710 一統武鑑寶永七年 麻布一本松   1712 分間江戸大繪圖 愛宕下 麻布は別殿  
        1713 分間江戸大繪圖 愛宕下 麻布は別殿  
1714 正徳武鑑 麻布一本松   1714 江戸図正徳四年 愛宕下 麻布は別殿  
        1715 分間江戸大繪圖 愛宕下 麻布は別殿  
        1716 [分]間江戸大繪圖 愛宕下 麻布両方ある  
        1717 分間江戸大繪圖 愛宕下 麻布両方ある  
1718 享保3武鑑 麻布一本松   1718 分間江戸[大]絵図 愛宕下 麻布両方ある  
        1721 分道江戸大絵図 愛宕は別殿 麻布のみ  
        1721 分間江戸大絵図 愛宕下 麻布両方ある  
        1722 新板江戸大繪圖 愛宕は別殿 麻布のみ  
1731 享保武鑑4巻 麻布一本松   1725 享保御江戸図 愛宕は別殿 麻布のみ  
1741 元文6年武鑑 麻布一本松   1729 分間江戸大絵図 愛宕は別殿 麻布のみ  
1745 延享武鑑 麻布一本松   1741 愛宕下ヨリ芝品川辺迄   麻布 白金は別所
1746 延享3年武鑑 麻布一本松   1744 設彩江戸大絵図 愛宕は別殿 麻布のみ  
1753 宝暦武鑑3 麻布一本松 下屋敷           
1763 大名武鑑巻3 麻布一本松 麻布白金 1763 分間江戸大絵図 愛宕は別殿 麻布のみ   
1764 明和武鑑 麻布一本松 麻布白金 1772 分間江戸大絵図 愛宕は別殿 麻布 白金は別所
1773 安永2年武鑑 麻布一本松 書なし          
1778 大成武鑑3 麻布一本松 麻布白金 1792 分間江戸大絵図 愛宕は別殿 麻布 白金は別所
1781 天明武鑑 麻布一本松 麻布白金 1794 品川芝筋白金麻布   麻布 白金あり
1795 武鑑巻3 麻布一本松 麻布白金 1801 増上寺芝口三田麻布   麻布のみ  
1800 寛政武鑑 麻布一本松 麻布白金 1803 分間江戸大絵図完 愛宕は鍛冶丁 麻布 白金は別所
1803 享和武鑑5 麻布一本松 麻布白金 1806 分間江戸大絵図 愛宕は鍛冶丁 麻布 白金は別所
1806 文化武鑑 麻布一本松 麻布白金 1809 分間江戸大絵図 愛宕は鍛冶丁 麻布 白金は別所
1826 文政武鑑 4巻 麻布一本松 麻布白金 1833 金丸彦五郎影直 図 愛宕は鍛冶丁 麻布 白金は別所
1835 天保武鑑 4巻 麻布一本松 麻布白金 1837 分間江戸大絵図 愛宕は鍛冶丁 麻布 白金は別所
1838 大成武鑑4巻 麻布一本松 麻布白金 1842 麻布新堀河ヨリ品川絵図   麻布 白金あり
1851 嘉永武鑑巻3 麻布一本松 麻布白金 1846 分間江戸大絵図 愛宕は鍛冶丁 麻布 白金は別所
1856 安政武鑑4巻 麻布一本松 麻布白金 1849 麻布絵図、切絵図 愛宕は鍛冶丁 麻布 白金あり
1867 大成武鑑.5 麻布一本松 麻布白金 1853 宝永御江戸絵図 愛宕は鍛冶丁 麻布 白金あり
1867 慶應3年武鑑 麻布一本松 書なし 1867 慶応改正御江戸大絵図 愛宕は鍛冶丁 麻布のみ  
1868 成羽藩再立藩               
1869 明治2武鑑 麻布一本松 ここから再立藩          
1869 官許列藩武鑑 麻布一本松 再立藩          
1869 御列藩武鑑 麻布一本松 再立藩          
1870 藩銘録 麻布一本松 再立藩          
1870 藩銘録伊呂波分 麻布一本松 再立藩          
国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開情報保護期間満了)資料より
大武鑑改訂増補 橋本博編 名著刊行会(1965年)上、中、下巻より
足利武鑑などは、江戸時代になって編纂されたために年代は合わせた。

武鑑と江戸古地図を照らし合わせてみると面白いことがわかりました。
◆山崎家の上屋敷が愛宕下と麻布一本松の両方にあった時代
丸亀藩で嫡子が亡くなり御家断絶を逃れ、成羽領に交代寄合衆旗本になったのが1658年(万治元年)ですが、1721年頃まで古地図では山崎家の上屋敷が愛宕下と麻布一本松の両方にあったことになっています。しかし、武鑑によるとそんな記述はない。


◆山崎家の上屋敷が愛宕下から麻布一本に移る間に麻布白金にあった時代がある
武鑑によると山崎家の上屋敷が愛宕下から麻布一本に移る間に『麻布白金』にあった時代が1688年から1703年頃まであることになっているが、しかし江戸古地図にはそんな事実はない。
江戸古地図と武鑑による成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察でわかったこと

成羽藩を立藩した前期山崎時代に既に愛宕下に江戸上屋敷があったことが判明しました。
成羽藩時代に山崎家治が江戸城の外堀普請に行っていますが、その時は愛宕下の江戸上屋敷に泊まっていたことになります。

丸亀藩から成羽領になった時に直ぐに愛宕下から麻布一本松に引っ越しした訳ではなく、しばらくは両方に上屋敷があったのではなかろうか、たぶん、麻布一本松は未開発で屋敷が完成するまでの間、数十年の猶予があったのではなかろうかと思います。

武鑑によると愛宕下から麻布一本松への移転の間に麻布白金に上屋敷があったようになっていますが、この当時、やっと江戸が麻布一本松辺りまで開発されてきたばかりなので、麻布白金に仮の下屋敷があったのではなかろうか、麻布一本松に上屋敷が完成するまでの間の仮表記なのではなかろうかと推測いたします。


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成羽藩山崎候の歴史
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察:位置@
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察:大きさA
成羽藩山崎候と愛宕花火
成羽藩山崎候の江戸屋敷の訂正
愛宕花火の参考文献

江戸古地図
国立国会図書館デジタルコレクション資料より
(インターネット公開情報保護期間満了)
江戸時代の武鑑
国立国会図書館デジタルコレクション資料より
(インターネット公開情報保護期間満了)

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江戸屋敷を考察する基礎知識
譜代大名
(ふだい)
関ヶ原の戦い以前より、徳川氏に臣従して取り立てられた大名を指す。
外様大名
(とざま)
関ヶ原の戦い前後に新しく徳川氏の支配体系に組み込まれた大名を指す。
交代寄合
表向御礼衆
表向御礼衆は大名と同じ扱いを受け、登城の際は表御殿でそれぞれの間に詰める大名嫡子の後に将軍と拝謁した。(19家:柳之間)
江戸上屋敷 使用する武家の家名を付して○○家屋敷などと呼ばれた。幕府から与えられた屋敷用地は、「藩」に与えられたものではなく、「家」(藩の領主)に与えられたもである。幕府からの連絡は藩邸に伝えられ、その後藩邸から本国へ伝えられる。
中、下屋敷 参勤交代で本国から大名に従ってきた家臣などが居住。江戸市中はしばしば大火に見舞われたが、その際には大名が避難したり、復興までの仮屋敷としても使用された。

大名の数 戦国大名
1478年〜1600年
江戸幕府成立期
1603年
元禄
1698年
幕末には
1869年
約1000大名以上 183大名 243大名 266大名
山崎候 わかりやすく言うと100位→90位→300位→222位

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