成羽愛宕大花火を始めた
成羽藩山崎候について調べてみました
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察
◆山崎家の上屋敷が愛宕下と麻布一本松の両方にあった時代
江戸古地図によると1658年頃から1721年頃まで山崎家の上屋敷が愛宕下と麻布一本松の両方にあったことになっています。
愛宕下『山サキカケユ』 麻布一本松『山崎勘解由』
1676年 新板江戸大絵図絵入
国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開情報保護期間満了)資料より
1676年の新板江戸大絵図絵入を見てみると愛宕下に『山サキカケユ』、麻布一本松に『山崎勘解由』と両方に上屋敷が載っています。
他の江戸古地図も調べてみますと、1658年頃から1721年頃まで山崎家の上屋敷が愛宕下と麻布一本松の両方にあったことになります。
またこれで、愛宕下の屋敷が成羽藩の山崎候に違いないことの証明にもなりました。
 
◆山崎家の上屋敷が愛宕下から麻布一本に移る間に麻布白金にあった時代がある
武鑑によると山崎家の上屋敷が愛宕下から麻布一本に移る間に『麻布白金』にあった時代が1688年から1703年頃まであることになっています。
1688年 本朝武鑑2巻
国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開情報保護期間満了)資料より
山崎家 上屋敷:麻布白金
1688年の本朝武鑑2巻によると上屋敷が『麻布白金』と記載されています。
また他の武鑑を調べてみますと、1688年から1703年頃まで山崎家の上屋敷が『麻布白金』にあったことになっています。

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成羽藩山崎候の歴史
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察:位置@
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察:大きさA
成羽藩山崎候と愛宕花火
成羽藩山崎候の江戸屋敷の訂正
愛宕花火の参考文献

◆成羽藩山崎候の大阪屋敷の表記のある武鑑
1838年 大成武鑑 4巻
国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開情報保護期間満了)資料より
山崎家 上屋敷:麻布一本松 下屋敷:麻布白金 大阪中之島
1838年の大成武鑑4巻に上屋敷は麻布一本松、下屋敷は麻布白金、飛び地大阪中之島との記載があります。


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