成羽愛宕大花火を始めた
成羽藩山崎候について調べてみました
C大阪中之島の山崎候の大阪屋敷大阪でもう一つ気になる話は、中之島『山崎の鼻』と大阪蔵屋敷
成羽町史に「大坂城の普請の捨石で中之島が出来て、そこに大坂屋敷を建てました。」とあるので訪ねてみました。2008年に開通した京阪中之島線の大江橋駅の中央コンコースに「中之島蔵屋敷跡分布図」があり、各藩の蔵屋敷の位置が掲示されていました。5000石の成羽領(天下普請をしたときは3万石の藩)は、現在の大阪市立東洋陶磁美術館辺り、『山崎の鼻』は美術館の裏辺りになります。中之島には諸藩の蔵屋敷があり、国元から送られた年貢米を収納し、市場で換金していました。成羽藩の蔵屋敷は、幅24間6尺3寸(約45m) 奥行31間1尺5寸(約60m)で、他藩の蔵屋敷より小さめだったが、大坂留守居役が駐在していました。成羽町史よりまた『山崎の鼻』で検索すると、落語から元豊国神社から観測所、合水堂まで色々なエピソードがあります。
大江橋駅、「中之島蔵屋敷跡分布図」、現在の山崎の鼻付近、現在の中之島公園の鼻

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成羽藩山崎候の歴史
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察:位置@
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察:大きさA
成羽藩山崎候と愛宕花火
成羽藩山崎候の江戸屋敷の訂正
愛宕花火の参考文献

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