成羽愛宕大花火を始めた
成羽藩山崎候について調べてみました
7-2 愛宕信仰と松明祭り

愛宕神社は、勝軍地蔵を本地仏としたことから、火伏せの神としてだけでなく『武神』としての信仰もあり、戦国大名に崇拝されていました。 天正10年(1582年)5月、明智光秀は戦勝祈願のために愛宕神社に参蘢し、本能寺の織田信長を攻めるかどうかを占うため籤を引き、3度の凶の後、4度目に吉を引いたという。翌日、同神社で連歌の会(愛宕百韻)を催したが、その冒頭に詠んだ歌「時は今 あめが下しる 五月哉」は光秀の決意を秘めたものとされる。
江戸の愛宕神社は徳川家康が京都の愛宕神社を勧請したものでした。
全国に愛宕神社は900社以上、愛宕山は約120座あるそうです。
愛宕神社のお祭りは火の神様だけに松明を掲げるものが多いそうです。

写真は愛宕信仰の参考文庫

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成羽藩山崎候の歴史
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察:位置@
成羽藩山崎候の江戸屋敷の考察:大きさA
成羽藩山崎候と愛宕花火
成羽藩山崎候の江戸屋敷の訂正
愛宕花火の参考文献


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