備中県民局地域政策のHPより |
歴史・文化シンポジウム「備中杜氏今昔物語」 2009年2月15日開催 |
民俗学者 神崎宣武先生による「酒の日本文化と岡山の酒造り」と題しての基調講演で、お酒の生活文化やその歴史、備中神楽と日本酒などのお話がありました。 |
「酒の日本文化と岡山の酒造り」 講 師:神かん崎ざき 宣のり武たけ(民俗学者) |
もうひとつ、古い酒で「八塩折の酒(やしほりのさけ)」というものがあり、これは『古事記』に出てくる。素戔鳴尊(すさのおのみこと)の大蛇(おろち)退治は、皆さん神楽を通してよくご存じだろうと思う。 素戔鳴尊が出雲へ追放されて、浪々の旅をして、足名椎(あしなづち)と手名椎(てなづち)というおじいさん、おばあさんに会う。 おじいさん、おばあさんが嘆き悲しんでいる。 わけを聞くと、悪い大蛇が娘たちを次々にかみ殺して飲み込んで、最後に一人しか残っていないという嘆きである。 素戔鳴尊は、その残っている最後の奇稲田姫(くしなだひめ)をわが嫁にしたい、嫁にすれば天敵である大蛇を退治しようということで、おじいさん、おばあさんに大蛇退治の手だてを話す。 そこで出てくるのが、「汝らはやしほりの酒をはみ」というくだり。 『古事記』ではこちらの字(醸)を書いている。 それでわざわざ、はみと読めと。 つまり、『古事記』の時代からやはり口噛みというイメージはあるのだ。 やっていたかどうかは別として。 「八塩折の酒をはんで、それを酒船において、それぞれの場所へ置け」と。 それを大蛇が飲んで、酔っ払って眠ったときに切りつけるという物語で、ご年輩の方はご存だろう。 これはよろしくない、と私は思う。 先生方がおっしゃるのに、神話の話で、本当のことかどうかわからないからだと。 文章というのは、大体そういったものだ。 皆さん方だって自伝を書いてご覧なさい。 ふられた話は書かないし、借金をした話も踏み倒した話も書かない。 いずれにしても、文字を書くというのはそういう操作が入る。 それから、『古事記』は読めば読むほど人間くさいのだ。 人間関係の複雑状況を神の世界に投影して書いている。 世界中の古典というのは、大体そんなもので、ヨーロッパへ行くと、寓話とかが出てくる。 高等教育を受けた人は大体話せる。 それを信用しているとか信用していないではなく、その民族の古典に対する敬意を表わす意味で、やはり知らなければいけないのではないか。 それを知れば、こういう話もある程度できる。 これから備中神楽を見られる方も多いだろうが、大蛇退治をゆめゆめ嘘物語と思われないほうがいい。 「八塩折の酒」というのには意味があるのだ。 口噛みであれ、あるいはどぶろく仕立てであれ、アルコール度数は上がらない。 やわらかい酒にしかならない。 これで酔うはずがない。 しかも、人間よりは酒に強いであろう大蛇が酔うはずがない。 さらに強(こわ)い酒を造らないといけない。 そのためにどうするかというと、何度も何度も仕込みなおしをして、前のものに、あるいはしぼった酒にまた新たな飯とか麹をいれて、水を加えて、また発酵させてそれを8度も繰り返せば、かなり強いお酒ができるだろうということだ。 もしよかったらやってみてください。 「備中八塩折の酒」なんて売れるかも分かりませんよ。 「八塩折の酒」は、『古事記』と備中では八岐大蛇(やまたのおろち)退治という神楽に残っている。 しかし、大蛇退治の神楽が残っているのは備中だけではない。 備後でも、出雲でも、石見でも、中国山地全体で演じられている。 これに関して、備中だけと誇れるものがある。 それは備中神楽の中では、酒造りの場面が出てくることだ。 ご覧になった方もあるだろうが、松尾(まつのお)明神というのが登場する。 『古事記』では、素戔鳴尊は、おじいさん、おばあさんに、造れ(噛め)と命じる。 しかし、備中神楽はそれを神話劇に仕立て直したものなので、松尾明神というこのあたりでの酒造りの守護神が登場して、素戔鳴尊の命を受けて酒造りを演じる。 松尾明神は『古事記』の中に出る神さまではないので、ここはフィクションとして面白おかしく─ちょうど神楽が退屈する時間でもあるから─面白おかしく時流に乗った話や流行り歌を歌って場を和ませ、最後に酒を造る。 そのところに、酒造りの場が出てくる。 『備中杜氏の郷』の6ページに出ている。 これ(写真1)が備中神楽の中の酒造りの一場面である。 松尾明神は向かって右で、あとは手伝い人の室尾(むろお)明神と奇名玉(くしなたま)明神だ。というように、出雲にも石見にもない酒造りを、延々と面白おかしくやる。 だから、我々が岡山の酒、備中の酒を日本に誇ろうという宣伝をするときは、やはりこの神楽の場面を頭に置いていただきたい。 同じく『備中杜氏の郷』6ページの上の写真 (写真2)は、新見の船川八幡で、神前に供える酒を造るところである。 日本で大体43社が、神社で酒を造る許可をもらって、お祭りのときの酒の仕込みを伝えている。 これは醪造りをしているところだ。ご飯と麹に、?(もと)─酒母ともいう。 麹だけでは甘酒にしかならないで、アルコール分解を促して、強(こわ)い酒にするために必要な、もうひとつの発酵源(スターター)─この?を混ぜて、発酵する下地を作り、これがぐつぐつ発酵したものが醪である。 醪は、絶えず攪拌してやらなければ、発酵が安定して進まない。 それで、この櫂棒(かいぼう)というのを桶へ入れて、攪拌をしているわけである。 備中神楽の酒造りでも、サイトリという、竹の両方へ紙を刻んだものを付けたものを櫂に見立てて演じる。 そして、櫂入れ歌というのを歌う。 例えばこういうふうに、「あなた百まで、わしゃ九十九まで。 共に、よいしょよいしょ」と。 こういう出だしで歌って、それで最後のあたりに「中見て底つきゃ、やれこらさあのどっこいどっこい」と。 これで酒が仕上がるというわけだ。 備中杜氏の醪の入れ歌がここに伝わっている。 今は機械化したので、歌う人はいないだろうから貴重な文化財というべきである。 ということで、神楽の中に酒造りがこれだけ残っているというのは、日本で唯一、備中地方だけである。 |