成羽愛宕大花火の起源 |
成羽花火を古来、「愛宕花火」と言う。 この愛宕と言うのは、軻遇突智(カグツチ)という火の神、俗に、愛宕権現と言われる地蔵菩薩で、武者装束で白馬にまたがり、出陣されている勝軍地蔵の像で、従来武家の間で広く尊崇され、各地に勧請され、祀られていたものである。 成羽藩は、参勤交代のため江戸屋敷が愛宕下にあり、二代目山崎義方がこの愛宕社を領地に勧請した時に花火を上げたのが、愛宕花火の始まりと言われている。 |
「成羽町史:民俗編」より |
300年の伝統 |
成羽愛宕大花火 |
愛宕山山頂に愛宕神社がある。 広場に観音石像1躯が立っている。 この台座に「正徳五年(1915)未正方福地ト道」の文字がみられ、成羽への愛宕社勧請は宝永年間(=1704〜1710)と考えられる。 したがって、成羽花火は江戸両国大花火(享保18年=1733年)よりも古く、約310年の伝統を持っているわけである。 |
「成羽町史:民俗編」より |
山崎義方とは? | |
成羽藩後期:山崎第二代藩主で、元禄元年(1688)初代豊治没後、父豊治の業績を受け継ぎ地域繁栄の基を築いた。 成羽に最も縁深い領主として知られている。 この義方が、愛宕神社を領地に勧請した時に花火を上げたのが愛宕花火の始まりと言われている。 |
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山崎義方(1667−1708) | |
「成羽町史」より |
山崎家の江戸屋敷 |
成羽藩は参勤交代のため江戸屋敷が麻布愛宕下にありました。 |
「成羽町史:通史編」より |
成羽藩の江戸屋敷のがま池伝説 今に伝わる『上の字様御守』とは |
成羽城のあった鶴首山の隣の山が愛宕山である。 | |
愛宕山標高400bの頂上に愛宕神社がある。 | |
龍泉寺の横に愛宕山の登り口の鳥居がある。 鳥居の足元に享保元年の彫り込みがあります。 |
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成羽の愛宕山の愛宕神社に正徳5年(1715)の観音石像が立っている。 | |
愛宕神社の寛政6年(1794)の上棟板 | |
江戸の愛宕神社 | |
花火を始めた山崎のお殿様ってどんな人? |