成羽藩の江戸屋敷のがま池伝説
今に伝わる『上の字様御守』とは
江戸時代より続く山崎様の『上の字様』お守り
山崎屋敷の『上の字様』お守りを
今でも発行している十番稲荷神社(東京麻布十番)
十番稲荷神社にある『がま池』の解説看板
 
成羽町史 民俗編より
成羽藩の江戸屋敷にあった『がま池』の伝説
〜今でも発行されている『上の字様』御守の話〜


備中成羽藩主山崎家江戸屋敷は、麻布本村町にあった。
堂々たる大屋敷で、園池花木のすばらしさは、加賀百万石の前田邸に劣らず、当時、池といえば山崎様の「蛾暮(がま)池」を指した程だった。
ある日、藩公の義柄公が、池のほとりを散歩の時、怪しい童姿の者が現れ、ふ ざけかかった。
無礼者と一喝切りつけると、白煙とともに消えた。
かねて、この池の主と伝えられていた尺余の大がまが、血を庭石の上に落とし て平伏していた。
その夜、藩公の夢枕に先の大がまが現れ、罪を詫びるとともに、火難と厄病除 けのお守りをいたしますといって消え失せた。

そこで、江戸家老清水某に命じて、石上の黒血で上の字を印したお守りを発行 することになった。
上の字のお守り発行後ほどなく、文政四年(1821)麻布古川橋付近より出火し 、麻布の大名小名の邸宅は勿論、町家に至るまで、その大半を焼失した。
この大火事が山崎邸に及んだ時、池の主の大がまが現れ、口から水を吹き出し て山崎邸を守り通した。
これが江戸中の評判になり、上の字の御守りの霊験だと、お守りを受ける者が 日に日に多く、門前市をなす盛況だったという。

明治維新後、山崎家が移転したのちは、家来筋の清水家よりお守りを頒布した 。
その後、お守りの発行は、昭和二年に、近くの末広神社にまかされたが、同社 が建物疎開で、竹長稲荷に合併されたころから頒布をやめたということである 。
          (山崎弘己)    成羽町史民俗編より
山崎様の江戸屋敷の跡、今は
アルゼンチン大使館になっていますA

このまわり見渡す限り全て山崎様のお屋敷でした。
このあたりは外国の大使館が多く閑静な高級住宅街です。
地下鉄の麻布十番駅から麻布十番の商店街を抜けて、坂道を登り、上がりきった丘の上にありました。
「がま池」は裏側になりますので、路地より裏手にまわりました。

現在の「がま池」を所有している
GAMA-IKEマンションD
アルゼンチン大使館の裏側に、現在の「がま池」を所有し ているGAMA-IKEマンションがあります。 大きな「がま池」は、ほとんど埋め立てられてマンションが建っています。
私有地なので入れませんが、駐車場の端から「がま池」が覗けました。

地域住民の運動もあり「がま池」は守られてきました。
今も残る山崎様の江戸屋敷の「がま池」 E-3
コインパーキングの奥から見た『がま池』 竹やぶの間から「がま池」の水面が見えました。 事前にネットで調べたパーキングです。一番奥からフェイス越しに見えました
東京都教育委員会の「がま池」の説明看板G-2
がま池
「がま池」のあるこの土地は、江戸時代には五千石の旗本、山崎主税助治正の屋敷であった。
言い伝えによると、同家の家来が屋敷内の夜回りに出た時、大がまのために殺された。
そこで、治正はがま退治を決意して寝たその夜、がまが白衣の老人となって夢枕に立ち、その罪を深くわび、今後当家の防災に尽くすことを誓った。
その後、文政のころ、高台下の古川岸に火災が起こり、この付近まで延焼してきた時大がまが現われ、池の水を吹きつけて火を防いでくれたといわれている。
怪奇な伝説が生まれたこの池も、今ではなかば以上が埋めたてられたが、昔の面影はわずかに残っている。 
昭和五十年十二月     東京都教育委員会
 
『麻布のがま池伝説』の山崎様は、岡山県の成羽藩の殿様でした。
成羽藩は繁栄していました。
山崎の殿様様が、成羽愛宕大花火をしていたし、庶民は備中神楽で教養を身につけていました。
 
現代と江戸時代の麻布の地図を比較して、現在の地図に描いてみました。

■ピンクの外枠が山崎屋敷の敷地です。こんなに広かったのです。
■ピンクの内枠が江戸時代の「がま池」の大きさです。
■ピンクに塗り潰しているのが現在の「がま池」です。
■紫色の線は、私が江戸時代に思いをはせて歩いた道筋です。

@氷川神社 アニメ『セーラームーン』でモデルになった神社 Bインターナショナルスクール
Cインターナショナルスクール裏手 D-2 GAMA-IKEマンションの入口
「がま池」を所有しているマンション
D-3 マンションの入口に置かれたがま D-4 マンション横の駐車場
D-5 駐車場の奥の塀の上から見た『がま池』
私有地なので入れませんが、駐車場の端から「がま池」が覗けました
E-1 GAMA-IKEマンション近くのコインパーキング
E-2 コインパーキングの奥側 G-1 GAMA-IKEマンション裏手にある豪邸
G-2 豪邸の前に教育委員会の看板があります
FGAMA-IKEマンション裏手

ブラタモリで紹介され、麻布のパワースポット、麻布の七不思議として脚光を 浴びている『がま池』伝説!

気になり仕事のついでに視察に行ってきした。

地下鉄の麻布十番で降りて、まずは近くの十番稲荷に参拝しました。
麻布十番の地下鉄の番出口が十番稲荷の社務所です。 階段の横にカエルの石像ありました。 ちゃんと山崎公の説明の看板もありました。
階段を上がると本殿、右側は手洗水、その左側にお札、そしてあの山崎様の 『上の札お守り』がありましたので買いました。
1000円で桐箱に入っています。

それから山崎様のお屋敷があった方に歩いて行きました。
山崎邸は今はアルゼンチン大使館になっています。
途中、アニメ『美少女戦士セーラームーン』でモデルになった氷川神社に寄り 道しました。
このあたりは外国の大使館が多く閑静な高級住宅街です。
次は、がま池を探しに行きました。 GAMA-IKEマンション を見つけました。
がま池は表からは見えないので裏手に廻りました。
駐車場がありそのすき間から簡単に覗けました。 池の水面の写真が撮れたので、目的達成!

さらに裏道をぶらりしていたら教育委員会の看板を見つけました。
つまりこのあたり全てが山崎様の屋敷でありその庭の池だったと言う事です。

麻布十番への帰り道、元麻布マンション前にさしかかるとタクシーが沢山来る ので、乗りました。 今度は愛宕神社に向かいます。
 
 岡山県のHP おかやまゆかりの十番稲荷神社
 
麻布のがま池伝説をUPしたHPをご紹介します。

東京ではこれだけ有名で保存運動まであります。
私たちもなにか役に立つ事はないでしょうか?


港区麻布の「がま池」
http://www.mononokekanko.com/special/40/02.html

がま池とかえる御守り・上の字様 十番稲荷神社
http://www.jubaninari.or.jp/gama.html

水が湧く場所なら・・東京散歩http://blog.goo.ne.jp/nsazb_gonta/e/7c4e
2d3eed8f98a804ee983062d15f02?st=1


今も残る大蝦蟇伝説http://www.kaeruclub.jp/report/gamaike/gamaike4.html

上の字様の由来と効能 http://www.kaeruclub.jp/report/gamaike/gamaike6.html

これまでの放送:第5回 麻布をブラタモリhttp://www.nhk.or.jp/buratamori/season1/
broadcast/vol005.html
 麻布十番の商店街
愛 宕 神 社

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十番稲荷神社のパンフレットより
上の字様とかえる御守と、ガマ池の伝説

江戸時代、文政四年(1821)七月ニ日、麻布古川辺りより起こった火の手が備中成羽領主山崎主税助の屋敷にまで迫った時、邸内の池から大ガマが忽然と現れて水を吹きかけ、それを退けたたという。
以来、大ガマの御利益にあやかろうと大勢の人々が山崎家に御札を求ぬた。

そこで山崎家では「上」の一字が書かれた御札を万人に授ける様になった。
この御札は「上の字様」と称され防火・火傷や毒虫除の御守として、篤い信仰を集めた。

その後、「上の字様」は当社前身である末廣神社に伝えられ、戦前まで絶えるなく授与されていた。

戦後「上の字様」は途絶えてしまったが昭和50年に至り大ガマに因んだ「かえるの御守」として復活した。
この御守は火事・火傷除としてだけでなく「かえる」の語音から転じて、旅行や病院から無事帰る、遺失物が返る、若返る等の御守として尊ばれている。

元の御札「上の字様」は60年以上の時を経て猶、御札を求める声が当社に寄せられ続けており、当社ではそれに応えるべく、神社に残された記録や故事を訪ね続け、平成20年に至り漸く元の御札を復元する事ができた。

再度頒布するに際し「上の字様」には新たに「家の諸災難除」の御神札としての御利益も有るように十番稲荷の大神様の御神威を仰ぎ伸ぎ、祈祷を捧げた。
 
上の字御守の説明書
上の字御守の由来

江戸時代、麻布古川辺りより始まったせ大火により備中成羽領主、山碕主税助の屋敷に火の手が迫ったその時、邸内の池より忽然と視れた大ガマが水を吹き掛け、これを退けた。
屋敷を守った大ガマの御利益に与ろうと人々はお札を求め、山崎家はそれに応え「上」の一字が 書かれた御札を授与するようになった。

これが世に有名な「上の字様」である。
火事除けは勿論のこと、火傷の予防、治癒、毒虫除け等にも効力を顕し、子供の守りにも持たせたという。


「上の字様」は明治以降、山崎家の執事清水氏より授与されていたが、清水氏が郷里に帰ることになり当社の前身である末廣神社に伝えられた。
戦後に末廣神社は竹長稲荷神社と合併し十番稲荷神社となり、上の字様も当社が受け継ぐ事になった。

当社では防火、火傷等の御守りとしてだけでなく、家に関わる諸災難も退ける様に神前祈祷し、十番稲荷の大神様の御神威も併せいただいた御神札「上の字御守」として授与している。

御神札の祀り方
一.家の守りとする時は目線より高い所に祀る事
一.コンロ等の失火を防ぐには台所付近に祀る事
一.身の守りとする時は御守のの様に携帯する事
一.一年経つ、又は損い破れた時には神社へ納める事

文政四年九月より出づ
       麻布十番鎮座
         
十番稲荷神社