成羽藩の山崎候の功績

成羽藩の山崎候の功績
山崎候 お国 お城 石高 武将 出来事
憲家 近江国 山崎山城
@
  佐々木家 宇多源氏
賢家 浅井長政 姉川合戦先陣で戦功
織田信長 越前一向一揆攻め、荒木村重討伐など諸戦に参
摂津国 三田城
A
二万三千石 豊臣秀吉  
家盛
豊臣秀頼 肥前名護屋城から対馬に二年間滞陣
関ケ原の戦い(田辺城の戦い)
因幡国 若桜城
B
三万石 徳川家康 大坂冬・夏の陣に参戦
弟の久家が戦死
寿覚院建立
家治
備中国 成羽陣屋
C
三万五千石 徳川秀忠 築城の名手
江戸城外堀の石垣構築
大阪城天主の石垣構築
中之島に大坂屋敷があり
寿覚院建立
龍徳院建立
肥後国 富岡城
D
四万石 天草富岡城の再建
寿覚院建立
丸亀藩 丸亀城
E
五万石 徳川家光 丸亀城の築城
寿覚院建立
龍徳院建立
俊家  
治頼  
           
豊治 備中国 成羽陣屋
F
五千石 徳川家綱 御殿築営
陣屋町の構築
菩提寺の桂厳寺建立
義方 愛宕神社勧請
成羽愛宕大花火の創始

成羽藩の山崎候の功績
い:江戸上屋敷麻布十番 上屋敷は麻布十番のアルゼンチン大使館にあった
江戸城では柳間が控室だった
ろ:江戸下屋敷白金 下屋敷は白金にあった
は:小石川後楽園 備中成羽藩主山崎甲斐守(山崎家治)の丁場の石垣で、江戸城外堀発掘調査の際に出土した石垣が使われている。
に:大阪中之島山崎の鼻 大阪城天主の石垣構築し、捨て石で出来た中之島に大坂屋敷があった
ほ:丸亀藩仁尾城 豊治の屋敷、五千石
へ:赤穂藩浅野匠頭 忠臣蔵で有名な浅野長矩の正室=阿久利姫は三次藩主浅野長治の側室のお石の方(寿光院)の三女。このお石の方は山崎家の出である。
と:熊本藩加藤清正 加藤清正の妻が山崎片家の娘
清正公と山崎の息子:虎熊
片家の子の百助が清正の養子になっている
続 加藤清正「妻子」の研究より
寿覚院と龍徳院 山崎家治候は、祖父片家候の法名を寺号とした龍徳院を成羽に建立した
また、祖父片家公の母の法名を寺号とした寿覚院を成羽に建立した

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成羽愛宕大花火を始めた成羽藩主の山ア候とはどんな殿様だったんでしょう? 少し調べてみましょう
@山崎候は戦国武将?
A山崎候は築城の名手だった
B大阪城の山崎候の刻印石
B-2 大阪城の山崎候の刻印石
B-3 大阪城の山崎候の刻印石
C大阪中之島の山崎候の蔵屋敷
成羽花火を始めた山ア候にまつわるエピソード
成羽藩主山ア候の参考文献
D江戸城の山崎候の刻印石がある小石川後楽園
D-2 江戸城外堀の山崎候の刻印石
D-3 江戸城天下普請
E成羽花火を始めた山崎候の江戸屋敷とガマ池伝説
E山崎候の江戸屋敷とガマ池伝説
F山崎候の江戸屋敷近くの愛宕神社
F-2 愛宕信仰と松明祭り
F-3 成羽の愛宕神社
G丸亀城の山崎候による築城
G-2 丸亀城にある山崎候の展示
H浅野内匠頭の妻の母は山崎家
I加藤清正の最初の妻は山崎家
11山崎家治の生涯
12江戸時代の花火について
写真は桂巌寺に伝わる寛文9年(1669)山崎豊治候の肖像画です。


成羽藩山崎候の参勤交代の道中
『道中御休泊其外諸事心得控』より
文化2年(1805) 山崎義徳候
成羽→江戸187里(約750km)
片道23日以上 300両(約3000万円)
0:成羽発 1:板倉宿 2:藤井宿 3:片上宿 4:片島宿 5:御着宿
  5里
(約20km)
7里半
(約29km)
7里半
(約29km)
7里半
(約29km)
7里半
(約29km)
6:加古川宿 7:兵庫宿 8:郡山宿 9:伏見宿 10:大津宿 11:石部宿
7里半
(約29km)
7里半
(約29km)
7里半
(約29km)
7里半
(約29km)
7里半
(約29km)
6里13丁
(約25km)
12:関宿 13:桑名宿 14:池鯉鮒宿 15:吉田宿 16:浜松宿 17:日坂宿
10里7丁
(約40km)
10里8丁
(約40km)
7里12丁
(約29km)
10里30丁
(約42km)
9里半
(約37km)
9里24丁
(約38km)
18:府中宿 19:吉原宿 20:箱根宿 21:大磯宿 22:川崎宿 23:江戸着
10里
(約39km)
10里2丁
(約39km)
9里34丁
(約39km)
8里8丁
(約35km)
12里
(約47km)
4里半
(約18km)