流星奉行とは?
今から約300年前の江戸時代に、成羽藩主:山崎義方のはからいで、年に1度家中の若者が鉄砲等の火薬のリサイクルで「カラクリ」などの花火を造り、愛宕神社に奉納し民衆を喜ばせていた『粋』なやつらが“流星奉行”です。
成羽町商工会青年部が、古き良き時代のこの“流星奉行”に着目し、数年前に現代に復活させました。
現代版“流星奉行”の復活は、当時はニュースになり、RSKTV「ボイス21」でもとりあがられました。



江戸時代の愛宕花火と流星奉行
火薬の調合は、大砲方(荻野流火砲術)が当たり、10歳より12歳までの少年は製造場の小使役を勤めた。
その報酬として流星2本をもらい、13歳になると流星係となり 、「流星奉行」と称えられた。
花火の中心である「カラクリ」いわゆる仕掛花火の操作に入ることを許されていたということである。 
「成羽町史:民俗編」より

歴代流星奉行たち

成羽町商工会青年部元部長による説明
『流星奉行のテーマ曲』 平成版
青年部元部長による 作詞・作曲
歌ってみてください。

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昔の「カラクリ」=仕掛花火
仕掛け花火の種類、材料とカラクリ図
成羽町史:民俗編より